大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和45年(ワ)8500号 判決

原告

岩崎トメ子

右訴訟代理人

芹沢孝雄

相磯まつ江

被告

第一屋製パン株式会社

右代表者

細貝義雄

被告

中島邦雄

被告ら訴訟代理人

加藤満生

主文

1  被告両名は各自、原告に対し七五二万九、六〇三円、うち六九四万九、六〇三円に対する昭和四三年一〇月一五日以降、うち五八万円に対する昭和四五年八月三〇日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを四分し、その一を被告両名の、その余を原告の各負担とする。

4  この判決は第一項に限り、仮執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

原告―「被告らは各自、原告に対し三、二〇九万円、うち三、〇〇〇万円に対する昭和四三年一〇月一五日以降、うち二〇九万円に対する昭和四五年八月三〇日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言

被告ら―「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二  原告の請求原因

一、事故の発生

1  発生時 昭和四三年一〇月一四日午前五時五分頃

2  発生地 埼玉県三郷市大字久兵衛一二三七番地先路上

3  加害車 自家用普通貨物自動車(足立一に八六三二、被告中島運転、以下甲車という。)

4  被害車 原動機付自転車(三郷町一一七六、岩崎英憲運転、以下乙車という。)

5  態様 甲車が東京方面から吉川町方面に向け進行中、濃霧で見とおしの悪い状況の中で、対向して進行して来た乙車と衝突

二、事故の結果

岩崎英憲(以下英憲という。)は、右事故により、脳挫創、腹部打撲による腎臓破裂、右大腿骨開放骨折等の傷害を受け、頭蓋内損傷により、同日午前一一時、東京都葛飾区東金町四丁目二番地所在第一病院において死亡した。

三、責任原因

被告らは、次の理由により、原告に生じた損害を連帯して賠償する責任がある。

1  被告第一屋製パン株式会社(以下被告会社という。)は、事故時被告中島を使用し、同被告に業務の執行として甲車を運転させ、これを自己のため運行の用に供するものであるから、自賠法三条による責任。

2  被告中島は、事故時、濃霧のため対向車の前照灯さえ五〇メートルに接近しないと確認できない非常に見とおしの悪い状況であつたから、時速二〇キロメートル以下で減速徐行運転し、対向車の前照灯を発見した時は警笛を吹鳴し、さらに減速して進行すべき注意義務があるのに、右徐行義務、前方注視義務、警笛吹鳴義務を全く怠り、加えて本件道路の幅員が5.7メートルの狭い道路であるのにその中央部を前照灯を上向き(遠射)にした状態で(このため霧による光の反射だけが強く白い牛乳の中を走るような結果となり、そのため前方の視界を著しく狭め、対向車の発見も遅れる結果となり、乙車からの発見も困難にし、英憲が衝突を避けるための措置をとる時間を短縮させる結果となつた。)時速六〇キロメートル以上の速度で漫然と進行した重大な過失により、乙車が前方約三五メートルに接近して来るのを発見できず、甲車の前部を英憲の右大腿部、右腹部及び乙車の右側機関部に激突させ、英憲をはねとばした。しかも、右事故発生後直ちに被害者英憲の救済をせず、約四〇分間も現場に放置して損害を拡大させたものであるから、民法七〇九条の責任。

四、損害

(一)  英憲の逸失利益と原告の相続

1 英憲は、昭和二六年四月六日生まれで、埼玉県北葛飾郡三郷町立南中学校を卒業後、昭和四二年四月千葉県立市川工業高等学校(以下市川工業という。)に入学し、当時同校二年在学中で一七才の健康な男子であつたが、同人は生まれつき聡明で且つ意思の強いがんばり屋であつて、父を早く失い病弱な母をかかえた逆境にもめげず、将来は一級建築士になろうとの志を抱き、家庭の経済的な困難を乗り越え大学受験の希望に燃えていた。

2 英憲は、中学一年生の頃から牛乳配達等のアルバイトを始め、昭和四三年一〇月八日頃からは東町の岩崎新聞店に勤務して給料月額八、〇〇〇円を得、そのほかに土、日曜日にはスポーツセンターのアルバイトをして月額一万六、〇〇〇円の収入を得ていた。

同人は、右収入で学費、交通費、昼食代を賄い、月額五、〇〇〇円程度を原告に食費として渡していた。

従つて、英憲は、その後市川工業を卒業するまで、同人の学費、生活費等は自力ですべて賄うことができたものである。

3 英憲は、本件事故にあわなければ、市川工業を卒業する昭和四五年四月一日からは同人の学友である訴外篠田喜一、同山崎忠と同様に工務店か設計事務所に勤務し、右両名に劣らない収入を得ることが出来たものであるところ、右篠田は昭和四八年六月の給料が九万四、四三八円で、同年上期の賞与が一六万円であり、右山崎は右同期の給料が一〇万六、五五三円で賞与が一六万九、五〇〇円であるから、右両名の平均年収額は、右各給料及び賞与額を基準として、給料を各一二倍して年額に換算し、賞与を年二回得るものとして各二倍し、右合計額を二で割ると一五三万五、四四六円と算定される。

英憲は、右金額と同額の年収を得、その後六三才に至るまでの四四年間就労できたはずであり、収入の額も右金額を下らないものと考えられ、その間の生活費は収入の三割である。したがつて、右を基礎としてホフマン方式により年五分の中間利息を控除して算出した英憲の逸失利益の現価は二、三九四万五、七三六円ある。

原告は、英憲の母でその唯一の相続人であるから、右逸失利益の賠償請求権をすべて相続した。

(二)  葬儀、墓石、墓地等の費用

1 葬式費用

二四万一、四〇〇円

2 法要費用 六万五、〇〇〇円

3 埋葬関係費用

(1) 墓地購入及び整地代

一七万八、〇〇〇円

(2) 墓石代 二〇万円

(3) 埋葬手数料及び車代

二万九、四〇〇円

(4) 会葬者への食事代

四万三、〇〇〇円

(三)  慰藉料

原告は、昭和三八年一二月三一日夫を白血病で失い、その後は長男英憲の成長を楽しみに、病弱の身にむちうつて必死に働き二人の子を育て、特に英憲は学業成績が優秀であつたばかりでなく、心根のやさしい親孝行者で、原告にとつて掌中の珠であり、又生き甲斐でもあつたので、親子三人で楽に暮せる日を指折り数えて貧苦の生活に耐えて来たが、一瞬にして英憲の生命をたたれ、その前途は暗黒そのものであり、その精神的苦痛は金銭は以つてしてはかえがたいが、これを慰藉するには五〇〇万円が相当である。

(四)  損害の填補

原告は、本件事故による損害につき、自賠責保険から二四〇万円を受領したので、これを原告の前記損害に充当した。

(五)  弁護士費用

原告は、被告らが任意の弁済に応じないので、弁護士である原告訴訟代理人に本件訴訟を委任し、着手金一〇万円を支払い、成功報酬は弁護士会所定の最低限度の率である一〇〇万円までは一二パーセント、一〇〇万円以上五〇〇万円までは八パーセント、五〇〇万円以上一、〇〇〇万円までは七パーセント、一、〇〇〇万円以上五、〇〇〇万円までは六パーセントの割合で支払うことを約したので、弁護士費用として二〇九万円の支出を要する。

五、よつて、原告は、被告らに対し、金二、九三九万二、五三六円および右金員のうち弁護士費用を除く二、七三〇万二、五三六円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四三年一〇月一五日以降、弁護士費用である二〇九万円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四五年八月三〇日以降各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三  被告らの答弁及び抗弁

(答弁)

一、請求原因一の事実は認め、同二の事実中、英憲が、本件事故により腹部打撲による腎臓破裂の傷害を受けた事実は争い、その余は認める。

二、同三1の事実は認め、同三2の事実は争う。

三、同四(一)ないし(三)および(五)の事実はいずれも不知、同四(四)の事実のうち、原告が自賠責保険から二四〇万円を受領したことは認め、その余は争う。

(抗弁)

本件事故は、次のような事故の経緯及び事故に至る状況により発生したものであり、被告中島には過失がなく、また、甲車には機能上、構造上の障害も全く存しなかつたから責任がなく、従つて、被告会社は自賠法三条により責任がない。

仮に、被告らに賠償責任があるとしても、英憲にも過失があつたので、過失相殺されるべきである。

1  本件事故の経緯

被告中島は、被告会社金町工場所属販売係員として、被告会社の主として結城方面の得意先に対するぱん類の配達並びに集金業務に従事する者であるが、事故当日は、午前五時頃平常通り、結城方面へのパン類配達のため甲車を運転して、右工場を出発し、この際、被告中島と途中まで同一道路を経由する訴外吉原武美、同井之川重定もそれぞれ配達のためそれぞれ自動車を運転して同時に右工場を出発し、甲車は右同僚二名の先頭で時速四〇キロメートルの速度を保ちつつ現道路左側端に沿つて事故現場附近まで進行し、右吉原、同井之川の両車は甲車の後方約八ないし一〇メートルの車間距離を保ちながら随行した。

2  事故に至るまでの状況

被告中島は、事故衝突地点の手前約五〇メートルの地点に至つた時、かなりのスピードで接近して来る対向車を認め、危険を避けるため咄嗟にブレーキを軽く踏んで減速し、この対向車とすれ違つたのであるが、その直後同手前約二五メートルの地点まで進行して前方約三六メートルの霧の中に対向してゆつくり進行して乗る大型貨物自動車の前照灯と運転席上部の緑色のライトを認め、その後右大型貨物自動車との距離が約二三メートルに接近した際、同被告は、右大型貸物自動車の右側に一個の小さなライト(乙車)が霧の中から浮び出るようにあらわれ、甲車の進路前方に相当のスピードで接近して来るのを認め、咄嗟に危険を感じ急ブレーキをかけて停車措置をとると同時にハンドルを左に切つて接触を避けようとしたが、英憲の運転する乙車は全く進路を変えることなく進行して来たため、甲車の右前部に衝突したものである。

3  叙上により明らかなとおり、本件事故は、英憲が乙車を運転し、早朝で暗く、しかも視界が三五ないし五〇メートルで濃霧が立ちこめていた幅員5.7メートルの本件現場道路において、その前方を徐行していた大型貨物自動車の右側を前方の対向車の在存に対する注視を怠り加速して追い越すべく、中央線を越えて進行し、しかも対向して進行して来る甲車を無視して進路右側をその路肩から約一メートルの位置で走行を続けた重大な過失により発生したものであり、被告中島は、英憲の運転する乙車が右大型貨物自動車を追い越して甲車の進路を走行して来るのを認め、乙車に対し、咄嗟にライトを上向きにする等の措置により甲車の存在を知らせ、且つ前記衝突回避の措置をとつたが間に合わず衝突したものである。被告中島としては、濃霧の中を無謀な追い越しをして進行して来る車両を予測することは全く不可能な状況にあつたものであるから、本件事故当時における運転には過失は存しない。

第四  原告―抗弁に対する答弁

一、抗弁事実中、英憲の運転する乙車が、被告ら主張の徐行中の右大型貸物自動車を追い越したことは認めるが、その余は否認する。乙車は当時時速約一五キロメートルの速度で進行し、事故現場から約二〇〇メートル手前において、前方を時速約五キロメートルの速度で徐行中の右大型貨物自動車を時速約二〇キロメートルの速度で追い越したものであり、追い越し終了地点は現場から約一五三メートル手前の地点であるから、右追い越しは本件事故とは全く関係がない。

二、甲車は、視界の狭い濃霧の中を、前照灯を上向きにして走行しているが、濃霧の中を走行する場合は、黄色の霧よけのフオグランプを用いるべきであるのに、これをつけてなかつた。

三、被告中島が、右大型貨物自動車のライト及び乙車のライトを発見し、衝突を避けるための緊急措置をとつたとの事実はない。

第五  証拠〈略〉

理由

一請求原因一の事実及び同二の事実中、英憲が本件事故により、脳挫創、右大腿骨開放骨折等の傷害を受け、頭蓋内損傷により、原告主張の日時、場所において死亡したことは当事者間に争いがない。

二責任原因及び過失相殺

(一)  被告会社が事故時被告中島を使用し、同被告にその業務の執行として甲車を運転させ、これを自己のため運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉を総合して判断すると、次の事実が認められる。

1  本件現場道路は、三郷市西部を南(東京方面)北(吉川方面)に延びる県道茂田井久兵衛線で、交通量は多い。同道路は歩車道の区別のない、幅員5.7メートルのアスファルト舗装の、平坦な道路であり、その東側には大場川が、その西側には人家や畑が混在している。同所附近の同道路は、白線で中央線が引かれているが、現場附近はあちこち白線が消えかけていて、夜間等はほとんど中央線が分からない状態であり、また、事故現場附近は直線であるが、同所から金町寄り約一五〇メートル先にはS字型のゆるいカーブがあり、そのカーブから衝突現場附近までには左に一度三〇分カーブし、そのため現場まで直進すると、右現場に至るまでには一メートル余右に寄ることとなる。また、衝突現場の吉川方面へ約一五〇メートルの地点からは、左にわずかにカーブしている。なお、同所附近は、駐車禁止および最高時速五〇キロメートルの規制がなされている。

2  事故当時は、霧が深く、特に現場附近は一段と深く、前方約五〇メートルの対向車のライトをかすかに見ることができる程度で、一〇メートル前後まで接近しないと対向車が、それもぼんやりとしか見えない状況であり、事故報告により現場へかけつけた警察のジープも赤ランプを点滅させながらも、時速一〇ないし一五キロメートルの速度でしか走行できず、安全運転には一〇キロメートル以下で走行しなければならない状況にあつた。また、現場附近には街灯などの照明設備がなく、本件事故発生当時は、日の出前であつたため、殆んど夜間同然の相当な暗さであつた。当時路面は霧のため幾分湿つていた。

3  英憲は、乙車(ヤマハYFI五〇CC、三郷町一一七六号)を運転し、当日の午前四時五七分頃、現場から約1.6キロメートル離れた自宅を出発して、北方より、事故現場に至り、被告中島は、甲車(幅1.76メートル、長さ4.978メートル、1.5トン積)を運転し当日午前五時頃、現場から約2.3キロメートル離れた被告会社の金町工場を出発し、茨城県結城市方面に向うべく、南方より、事故現場に至つたものである。

英憲の運転する乙車は、事故現場に至るに際し、その手前約二〇〇メートルの地点で先行する軽四輪自動車に続き、時速約五キロメートルの速度で徐行していた訴外藤賀春一運転の大型貨物自動車(栃一せ七五〇六号)を時速約二五キロメートルの速度で追越しにかかり、同手前約一五〇メートルの地点で右追越しを完了して現場に至り、被告中島の運転する甲車は、時速四〇キロメートルを下らない速度(衝突後のスリップ痕は13.6メートルである。)で現場に至り、甲車の衝突直前の前照灯は上向き(遠射)であり、これは濃霧の際は、前方の視野を著しく狭め、対向車のライトを確認しにくくするとともに、対向車にとつてもそのライト確認をむずかしくし、自己車の発見を遅らせる結果となる。

4  事故発生約一時間後の実況見分によれば、甲車は別紙図面地点に、図面のように、左前輪を道路左側(西側)路外へ落した格好で停止しており、(その他、右前輪および左後輪も丁度路端附近にあつた。しかし、前輪の状態は、さほど左に切られた格好とはなつていない。)、乙車は同図面の地点(後記地点より二メートル前後)に左を下にして転倒、地点(道路外の地点より10.6メートル地点)には直径0.5メートル程度の血痕があり、同地点に英憲は頭を川側に、足を道路側にして倒れており、同図の地点にはひとにぎりの乾燥した土が落ちており、また地点の東京寄り約9.5メートル手前から地点までは、ほぼ中央線に平行で、その後甲車の停止位置の道路左側端(地点から約一メートル)に向う二条のスリップ痕が残つているほか、地点から地点にかけて金属性の擦過瘍があり、さらに地点の約二二メートル吉川方面先の甲車線内に、地点に向う、別紙図面のような一条の擦過痕があり、それは地点側のスリップ痕の少し手前で消えていた。

5  甲車は、本件衝突により、地上高約0.98メートルの右前照灯とフロントガラスが破損した他、右前照灯から前部バンパー右角にかけての部分が凹損しており、他方乙車は前照灯、右ハンドル(地上高約0.96メートル)まわりとエンジン部分右側が破損している。

また、地点の中央線附近には、幅2.0メートル、長さ3.5メートルの惰円形のガラスの破片が飛び散つていた。

以上の事実が認められ、右認定に反する被告中島の甲車の速度についての供述部分および乙第四号証中の記述部分は、右認定のスリップ痕の長さ、被害者の転倒位置等に照らし、また、同人の藤賀運転の大型車の位置関係についての供述部分および乙第三、四号証の記述部分は、証人藤賀春一の証言に照らし、いずれも措信できず、その他右認定を覆すに足りる証拠はない。証人横田和男の供述中にはガラス破片等のあつた場所(地点の中央線附近)から東京方面よりにはスリップ痕はなかつた旨の部分があるが、これのみでは、右認定を覆すことはできない。

右認定の事実によれば、甲車の停止位置後部に残されていたスリップ痕は、甲車のものと推認され、そのスリップ痕と、右認定の、乙車および英憲の転倒位置、ガラス破片の位置、甲、乙両車の損傷部位、被害者英憲の右大腿部の成傷とに鑑みれば、甲、乙車は、甲車の車内線において、甲車の右前部角と乙車の右ハンドルおよび右側部分とが衝突し、その衝撃により、乙車は地点に、被害者英憲は地点にそれぞれはね飛ばされたものと推認され、また甲、乙両車の衝突位置は、土の落ちていた状況、ガラス破片の位置、地点から地点にかけての金属性の擦過痕(これは乙車によるものと推認される。)とによると、ほぼ地点であつたと推認される。甲第六五号証の記述、証人水野俊彦、同佐々木大善の供述中の実験結果によるも、右認定を覆すに足りない(右認定の甲車の停止状態、とくにハンドルがさほど左に切られていないことからすると、甲車がそのような格好となつて停止したのには、路面が湿潤し、滑走し易い状況にあつたことが大きな影響を与えていると推認される。)。

ところで、右認定したところによると、被害者英憲は、甲車と接触時点においては、中央線を越え、道路の右側部分を走行していたものと認められるが、それがいかなる事由によるものかは、同人が死亡しているため明らかでないが、少なくとも、地点から吉川町寄りの道路西側についている長さ約二二メートルの一条の擦過痕は本件原付車によるものとしては不相当に長くこれは本件乙車のものとは認められない。

以上認定したところによれば、本件事故は、自車線内を走行してきた甲車に、道路の中央を越え右側部分を走行してきた乙車が衝突して生じたもので、当時被告中島が、時速四〇キロメートルを越える速度で走行していたとはいえ、制限速度を越えていたとまでは認定できないけれども、自動車運転者としては、法定速度以内であつても、当該道路状況、交通事情等に応じ、滅速し、時には徐行しなければならない場合も少なくないのであつて前記認定したような当時の濃務の状況および道路状況とによれば、被告中島としても、他の車両等や歩行者との衝突を回避するためには、時速一〇ないし一五キロメートル以下の速度で走行すべき義務があつたものと認めるのが相当である。とくに、本件道路のように、歩車道の区別がなく、道路幅員も狭く、しかも、一方は川、他方は田圃ないし人家であるところでは、かかる濃霧状況下にあつては、一般の車両は、歩行者との接触あるいは道路外への転落等を回避するため、道路中央付近を走行し、対向車があつたとき、はじめて自車線に戻るのが、いわば通例なのであつて、そのような措置をとるに適切な速度でなければ、事故発生は必至のことである。ところが、被告中島は、これに反し、そのように狭い道路を、時速四〇キロメートルを越える速度で走行したものであつて、同人は安全運転業務に違反しており、本件事故も、甲・乙車の衝突態様からして、甲車の速度が時速一〇ないし一五キロメートル程度であれば、回避し得たものと推認されるから、本件事故発生について、被告中島が民法七〇九条に基づき過失責任を負わねばならないことは明らかである。しかも、同人の速度からすると、甲車車線内に停止車両なり、歩行者、自転車があれば衝突は必至だつたのであり、また右に述べたような通常の車両の走行方法からしても、対向車との衝突も、いわば、必至のことであつて、本件事故は起るべくして起きたものともいえる。このような点では、被告中島の過失の程度は、本件事故が偶々中央線を越えて走行してきた車との衝突で当時被告側が自車線内にあつたとしても、極めて重いものというべきである。

右認定の事実によれば、被告会社は、甲車の運転者である被告中島に過失がある以上、その余について判断するまでもなく免責される理由がない(証人名和春雄、同吉原武美の各証言によると、甲車に追従して走行していた名和らも、被告中島と同程度の速度で走行したことが認められ、これが前記のように無謀な運転といわねばならないことからすると、被告会社の運行管理にも手落ちがあつた疑がある。)。

三損害

(一)  英憲の逸失利益と原告の相続

〈証拠〉によれば、原告主張四(一)1、2の事実および英憲は病気がちの原告(当時四三才)および弟精司郎(当時一一才)と同居していたもので、子がなく、原告がその唯一の相続人であることが認められ、英憲は、本件事故にあわなければ、市川工業を卒業する昭和四五年三月の翌月から六三才に達するまでの四四年間就労可能であつたと推認することができる。

その間英憲は、総じて平均してみると、労働省労働統計調査部の賃金構造基本統計調査(昭和四七年)による新高卒男子労働者の平均賃金(年額一二九万五、六〇〇円)を下らない収入を得られたものと推認するのが相当である。

そして、右認定の家族関係によれば、英憲は、いずれ原告を扶養しなければならない立場にあつたことが推認されるから、爾後六三才までの四四年間、総じて平均すると、英憲は、その生活のため等の諸経費として、その収入の四割の支出を余儀なくされるものと推認するのを相当とする。

これを基礎として、英憲の逸失利益の昭和四三年一〇月一五日の現価を、同日以降本判決言渡時までは単利(月別ホフマン式)、その後は複利(ライプニッツ式)により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、一、三三四万九、二〇六円となる。

このような逸失利益の算定については、種々の考え方があり得るところであるが、右のような算定方法は合理性のあるものと判断する。

すなわち、日本の損害賠償制度は、死亡事故についていえば、人の死亡という結果自体を金銭的に評価し、その賠償を命じるものであつて、その意味では、慰謝料等を含んだ、認容される総損害額が問題なのであつて、認容される額の適否が問題となるときには、各費目毎に、各個に検討されるべきでなく、各費目との連繋を保ちながら検討されねばならない。裁判所において認容される慰謝料額も、認容される逸失利益の額、そしてその算出の基礎となる、死亡者の予測される収入額、生活費控除の割合、あるいは中間利息控除の方式と無縁ではないのである。

そして、逸失利益算定についていえば、予想される確実性ある昇給であれば、これを算定の基礎とすべきことは当然であるが、本件のように長期間に及ぶ逸失利益算定に当つては、中間利息を複利(ライプニッツ式)で控除する限り、全年令平均の賃金を基礎とすることに合理性があるといえる(若年者は低賃金であるため、その後年令別に昇給を考慮しても、算出される額にはさ程の差が生じない。)。また、現在の経済機構の下では、複利で運用されることも経済慣行であり、民法四〇四条・四〇五条・四一九条もこれを予定しているものであるから、複利の方式で中間利息を控除することにも合理性がないわけではない。

たしかに、現在のような貨幣価値の下落が予想される社会にあつては、右のような算出方式の妥当性に対する批判もあり得ようが、このことは、被害者側の個別的事情に応じ、慰藉料額算定に当つてはこれが参酌されるものである。そのように考えると、前記したような逸失利益算出も、なおその合理性、妥当性をもつものと判断する。

ところで、前記認定の原告の身分によると、原告は、右逸失利益賠償請求権をすべて相続した。

(二)  葬儀、墓石、墓地等の費用

〈証拠〉によれば、原告は、英憲の葬儀およびその後の法要を行ない、墓地、墓石を購入し、請求原因四(二)の各支出を余儀なくされたことが認められるが、本件事故と相当因果関係にある損害の昭和四三年一〇月一四日時の現価としては三五万円に限るのを相当とする。

(三)  慰藉料

〈証拠〉によれば、請求原因四(三)の事実および事故現場と英憲の入院した第一病院の所在地との距離が約四キロメートルであることが認められ、ところが同尋問の結果により真正に成立したものと認める甲第四号証によれば、英憲が病院に運ばれたのは午前六時であることが認められる。これによると、英憲は事故発生後、事故現場において、少なくとも三〇分程度医療機関の適切な措置を受けることなく放置されたものと認められ、英憲の前記受傷部位によると、早期治療によるも結果の影響のなかつたものと推認されるとしても、これが、原告の蒙つた精神的損害に大きな影響を与えており、これらと、前記認定のような本件事故の態様、英憲の年令、その他本件に顕われた諸事情を考慮すると、英憲の過失を斟酌しない場合、原告の蒙つた精神的損害に対する慰藉料の額は、五〇〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

(四)  過失相殺および損害の填補

一方、乙車を運転していた英憲にも、非常に見透しの悪く、前方の対向車の存在が十分確認し得ない状況の下で、道路中央を越えて走行した過失を犯し、これが本件事故の一因となつたことも否定できない。

これを斟酌すれば、被告会社および被告中島は各自、以上のような本件事故による損害計一、八六九万九、二〇六円の五割に当る九三四万九、六〇三円を負担すべきものというのが相当である。

ところで、原告が本件事故による損害につき、自賠責保険から二四〇万円を受領したこと、右金員が原告の損害に充当されたことは当事者間に争いがない。

(五)  弁護士費用

〈証拠〉によれば、原告は、本件損害賠償の任意支払を受けることができず、本訴訟の提起追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任し、着手金として原告主張の金員を支払い、成功報酬として第一審判決言渡時に原告主張の割合で支払うことを約したことを認めることができるが、右金員のうち、原告が被告らに対し、事故に基づく損害として賠償を求めることができる額は昭和四五年八月三〇日の現価において五八万円と認めるのが相当である。

四結論

よつて、原告の本訴請求は、被告両名に対し各自七五二万九、六〇三円、うち六九四万九、六〇三円に対する昭和四三年一〇月一五日以降、うち弁護士費用である五八万円に対する昭和四五年八月三〇日以降各支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(高山晨 田中康久 玉城征駟郎)

別紙図面〈略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例